JUST JAPANMay 2006


     
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エッセイと短編小説

英国エリザベス朝及びジェコビアン朝における政治、社会、経済、宗教、文化の発展がウィリアム・シェイクスピアの戯曲に与えたインパクトの概略(その8)

       作者   石塚 とも   (いしづか とも)    

作者の略歴
舞台芸術研究者。1966年東京生まれ。4つのアメリカの大学と大学院で舞台芸術を学ぶ。米国在住8年。出身校(最近の順に)東京芸術大学、パデュー大学院、オレゴン大学院、南オレゴン大学、サウスウェスタン・オレゴン短期大学、明治学院大学。Phi Kappa Phi(全米大学優等生会員)、USITT(米国舞台技術協会員)。趣味はピアノとバイオリン。

ねたみ、同業者、仲間

 シェイクスピアの公の記録は1585年に一度途絶えるが、1592年にはロバート・グリーン(1558−1592)によって書かれた劇評に再び現れた。小説家、詩人、劇作家でもあったグリーンはシェイクスピアの活躍の様子と共に、当時の演劇業界について豊富な記述を残している。一例を挙げれば、劇団に所属する俳優と劇作家の間には仲間意識よりも、ライバル関係といった空気があったなど、当時の作る側と演じる側の確執を伺うことができる。グリーンの死後三ヵ月経ってから出版された前述の劇評中で、著者はシェイクスピアのことを「成り上がり者のからす野郎」と罵倒しているが、これはグリーンがシェイクスピアのあふれる才能をねたみ、その活躍に泥を塗ってやろうとしたからだと推測できる。大学出身の劇作家が中心となって、ロンドン演劇を引っ張っていた当時のことから考えると、初等教育しか受けていないシェイクスピアは、どちらかと言うと異端であり、その点もグリーンの勘にさわったのかもしれない。
 グリーンを始めとして、ジョン・リリー(1544−1606)やジョージ・ピール(1556−1596)などが当時売れていた舞台芸術家だが、トーマス・キッド(1557−1595)とクリスファー・マーロウ(1564−1593)はエリザベス朝のドラマの中核をなす点において別格である。キッドの「スペインの悲劇」は復讐が主題であり、主人公は精神の破綻をきたしながらも、劇中劇などの芝居の技巧を駆使して本懐である復讐を全うする。この点で、シェイクスピアの「ハムレット」のプロットはキッドのそれと類似している。
 ケンブリッジ大学から6年間の奨学金付きで、神学修士課程を修め、主要作品の「ファウスタス」で圧倒的人気を誇っていたのはマーローだ。オックスフォード大学出身者がカトリック指導者になっていた当時、ケンブリッジ大学出身者はエリザベス女王の側近に多く見られた。大学二年生のときに、7週間連続して学校を休んだことで停学処分寸前だったマーローだったが、女王直属の枢密院が処分に対する女王の懸念を示して大学側との仲裁に入った。このように政治に近い関係から、マーローは当時最強の無敵艦隊がイギリス侵攻を準備する最中のスペインへ送られ、カトリックの神学校でスパイ活動に手を染めているイギリス人留学生に目を光らせてくれと女王筋から依頼された。イギリスの歴史家であるローズはマーローの性格をシェイクスピアのそれと比較して以下の次のように記述している。「シェイクスピアが思慮分別があり、機転が利いて、慎重で、ユーモアあふれる紳士であるのに対し、マーローは傲慢で、怠惰で、挑戦的で、普通の人が犯すちょっとした愚行に対する嘲りを隠せない、精神分裂的に短気な人物である。」マーローの死が酒場での口論が原因で、右目をナイフで刺された事件によってもたらされたのは彼の性格上の問題か、諜報活動によるつけが回ってきたのかは定かではない。いずれにしろ、マーローの早すぎる死は新人シェイクスピアに活躍の場とチャンスを残したことに他ならない。グリーンはシェイクスピアについて、マーローを始めとする大学出身のインテリ劇作家の輝かしい業績のおこぼれを受けているだけだとねたみともとれる発言をしている。
(続く)



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