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シアターサウンドに応用されるジョン・ロングの理論
(続き)
収穫というコンセプトは「テンペスト」で扱う歌が持っているもう一方のシンボリズムである。周知のとおり、収穫とは作物が畑から取り入れられることを指す。農夫は作物を作るために一生懸命働かなければならない。サイモンド氏は農作業のハイライトである収穫に結婚のコンセプトを重ねて次のようにコメントしている。『プロスペローはフェルディナンドに居宅用の材木などの重荷を運ばせることによって、結婚のための心がまえを進めさせているのだ。「テンペスト」の世界で生きる登場人物は身分に関係なく、幸せな結婚を勝ち取るために一生懸命働かなくてはならないのだ。』(84)フェルディナンドがプロスペローのために一生懸命働いているという側面は、収穫のために身を粉にして働く農夫に非常に近いものである。例えば、第三幕のシーン1ではフェルディナンドがこう言っている。「私の仕事がどんなに過酷でも、材木が重いことを呪ったりしないし、ご主人様が冷たいことを嘆いたりはしない。なぜなら恋人であるミランダを思うだけで私の重労働は収穫前の喜びに変わるから。」(ギル48)この場面では、フェルディナンドは義理の父になるプロスペローから信用を得るために彼の指図に不平ひとつ言うことなく従う。困難な仕事を見事にやりぬいたフェルディナンドはプロスペローの信頼を勝ち取り、プロスペローは最愛の娘ミランダをフェルディナンドに与えることで義理の父子が打ち溶け合えたことを認めるのだ。また、仮面劇の場面では、ローマ神で収穫の神様でもあるセレスは、結婚という人生の中で最も豊かな収穫期を迎えているフェルディナンドに祝いの言葉を送る。ここでのセレスの歌は収穫を象徴しており、困難を乗り越えフェルディナンドがプロスペローの信用を得るために努力した顛末を要約している。
第三に、様々な超自然現象で満たされている「テンペスト」の中の音楽の使用は超自然生物を示唆する場合が多くある。例えば、アリエルと彼の妖精たちはこの世の物ではない。この超自然生物たちはプロスペローの魔法によって操られている訳だが、魔法自体も言わば一種の超自然現象である。第1幕のシーン2でアリエルが歌う「黄色い砂浜に」によって超自然生物の存在が明確になる。荒れ狂う海から奇跡的に救い出されたフェルディナンドは、誰かがこの歌を歌っているのに気付くが、誰が歌っているか実際に見ることができない。アリエルは自分自身を透明にすることができるので、フェルディナンドにはこの妖精を見ることができないのだ。
アリエルは歌う。
おいでよ、黄色い砂浜に。
手と手をつないで、お辞儀をかわし、くちづけすれば、
荒波もひっそりしずまる。
かろやかに踊れ、そこここに、
やさしい妖精たちよ、喜ばしてください。
お聞きよ、お聞き。 (エラ20)
(続く)
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