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シアターサウンドに応用されるジョン・ロングの理論(続き)
戯曲中で使用される音楽の機能を解明するという目標において、当論文が次に着目したものはシンボリズムである。音楽はある特定の質、考え、およびグループを表現することができる。例えば、アメリカ合衆国のNational
Anthem(国歌)はアメリカのプライドと愛国心のシンボルである。メジャーリーグの開会式などの特別なイベントにおいてこの国歌を歌うとき、国民の大部分は音楽中のシンボリズムを受け止めながら祖国の良さを再認識している。同国歌中で指摘できるいくつかのシンボルは愛、神、家族、および自然といったいずれも同国民の基盤になる価値観である。ほとんどのアメリカ人は国歌を歌うと非常に熱狂的になり、特にオリンピックゲームなどの国際試合においては国粋的な側面を強く見せる。彼らは音楽によって象徴される共通の価値観をスタジアムで選手とともに歌うことで共有しているのだ。
劇場では音楽のシンボリズムがキャラクタの性格や生い立ちを指し示すために重要な役割を果たしている。キャリバン(テンペストに登場する半分人間半分魚のキャラクタ)は、音楽によるシンボリズムが頻繁に使われている格好の例である。キャリバンはイギリス帝国によってアフリカの国から連れてこられた黒人の奴隷を象徴していると数多くのシェイクスピア学者は論評している。同様に、学者達はプロスペロー(テンペストに登場する島の王)が17世紀当時のイギリス人を象徴化していると指摘する。過去において、奴隷制度はイギリスの拡大主義によって正当化されたが、現在はイギリスの17世紀の奴隷制度はポストコロニアル研究者たちによる批判の的である。シアターサウンドを使ってこのバックグラウンドを象徴的に場面に組み込む場合、第3幕の第1場でプロスペローに対するキャリバンの反乱が最も適切な場面である。たとえば、このときにアフリカのドラム音楽を使用すればキャリバンと奴隷制度といった音楽のシンボリズム確立できる。乾いたドラムの音と単純だがリズミカルなパターンの組み合わせはキャリバンが持っているアフリカのイメージを高めることができる。
戯曲における音楽のシンボリズムの使用例は第4幕第1場のプロスペローの庵の前でくりひろげられる仮面劇の場面で見られる。
[彼らは歌う]
ジューノー
栄誉、富、結婚の幸福、長き命と繁栄の喜び、つねに汝らの上にあれ!ジューノーは、かく、汝らに祝福を歌う。
シアリーズ
大地の実り、いやがうえにも豊かに、納屋、穀物蔵の空くことなく、ぶどうは鈴なりの房を垂らし、草木は生りに生りてたわむべし。春は遅しといえども、取り入れの秋の末には来かれし。困窮、不足は近寄せじ。これぞシアリーズの祝福なり。
(エラ67)
この場面は愛、喜び、または幸福などの豊かで明るい感情で満たされており、使用されている歌は結婚を象徴している。たとえば、ト書きにはジューノーが地上に下りながら仮面劇に参加するのだが、ジューノー自体が「結婚とそれによって派生する責任を司るローマ神の女王」(ギル66)として崇め奉られている。すなわち、この場面で使用されているジューノーの歌は結婚を象徴しているのである。シェイクスピアはこの幕場で執り行われる結婚がこの戯曲の中心的存在であると言っているかのように、数あるローマ神の中でこの特別なローマ女神を登場させている。ペギー・ムニョス・サイモンド氏は『音楽の甘い誘惑:奇跡を起こすハープがかける政治的な魔力とシェイクスピアの「テンペスト」』の中で仮面劇の場面で音楽について、「歌と音楽は結婚を象徴するのに仮面劇でしばしば使われた」とし、また、「テンペストではカップルの友愛と豊かな結婚の関係のシンボルを仮面劇を通して具体的に表すことができている」としている(79)。この観点から言えることは、シェイクスピアはフェルディナンドとミランダとの愛に満ちた明るく豊かな関係を象徴するのに音楽のシンボリズムを使用しているということである。
(続く)
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