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CDを買おう、と思った。彼らのCDを全部買おう、と思った。
でも、解散してしまったバンドだし、全然売れなかったバンドだし、もはやCDなんか売っているわけがない。何件かCDショップを覗いてみたが、そこには、彼らのカケラすらも見つけることができなかった。
でも、どうしても、聴きたい。
インターネットで中古CD屋のリストを片っ端から検索した。廃盤だもの、音飛びさえしなければ、ジャケットが無かろうが、破けていようが、全然かまわない。聴けさえすれば、それでいい、と。インターネットを徘徊すること三日。仕事もそっちのけで探しまくった。十年近く忘れていたくせに、このときの私は、妙に情熱的だった。彼らの音楽が、すっかり丸くなった私の信念をくすぐったのかもしれない。徹底的に探した。ところが、一枚も見つからなかったのだ。インターネットには、何でもかんでも溢れていると思っていたのは、私の幻想に過ぎないのか。がらくたも、高価な宝石も、見つけ方さえ心得ていれば手に入れられるのが、インターネットではなかったか。
あきらめかけたところで、ダメでもともとと、インターネットのオークションを覗いた。何度も何度もタイプした彼らのバンド名を、検索窓に入力する。エンターキーを押す。回線がキュルキュルと回って、私の入力したキーワードを「これ、なに?」と言いたげに考えている。長い。なかなか結果が表示されない。回線が止まってしまったのかと不安になるほど待たされた。突然、表示が変わる。検索結果が現れる。
なんと! 私は奇声を発しそうになった。いや、実際に、発したかもしれない。
なんと、そこには、私の欲しいCDのほとんどが出品されていたのだ。
私がそれらを落札するのに、一日もかからなかった。
そう、それがちょうど、私の誕生日だった。だから、ささやかな自分へのプレゼントと思って、価格を気にせず落札した。競り落とせるものはすべて、一気に競り落とした。当然中古なのに、ほとんどが定価を上回っていた。バカバカしいとは思う。でも、そんなの気にしてられるか。気分は、高級アンティークを競り落とすディーラーの気分だった。
競り落とした商品は間もなく届いた。
買いそびれていた解散ライブのアルバムを始め、現在までに五枚を手に入れることができた。廃盤ものだから、程度はあまり期待していなかったものの、そのどれもが、盤面、ジャケットともにきれいで、音飛びもない。昔のレコードだとこうはいかないだろう、傷が付いただけで、致命傷になる場合もある。今回ばかりは、扱いの楽なデジタルに心から感謝した。
その一枚一枚を、深夜に大事に聴いている。
解散ライブのアルバムでは、歴代のメンバーが勢揃いして、交代で演奏しているらしかった。MCも収録してあった。目を瞑って聴くと、ライブの情景が浮かんだ。刻一刻と、最後の時が近づいてくる。別れの瞬間が、近づいてくる。CDの回転が止まる、彼らは、消えてしまった。
本当に、解散してしまったんだ。私はあらためて実感した。涙が出そうになった。感傷的になって、「時代」という言葉を思い出したりした。
時代は変わる。彼らは解散し、今はもう、中年のおじさんになってしまった。当然、私も年を取った。あの頃の私は、もういない。
でも、忘れかけていた大事なものを、思い出すことはできた。まだ、手遅れではなかったんだなと、安心した。
彼らの音楽は、それ自体が重大なメッセージを伝えるというタイプのものでは、決してない。だから、思うに、おそらく、「あの頃の私」という人間にとって、象徴的で衝撃的なものだったのだと思う。うまく言えない。
過去を振り返るなと、人は言う。でも、過去に置き去りになっているものを探しに行くのも、たまにはいいでしょう、と私は思う。そこに、こんなに大事なものを見つける場合もあるのだし。それに、ネガティブに、過去に囚われるのとは、ちょっと違うしね。未来だけを見つめるあまり、イライラしている人をよく見かける。そんなことで息切れしてしまっては、元も子もない。たとえ過去を振り返ったとしても、結果的に、自分が自分としてしっかり笑っていられるのならば、それでいいんじゃないかな。
相変わらず大袈裟な私は、たかが廃盤CDを手に入れたぐらいで、そんなことまで思いを巡らせていた。どうやら彼らの音楽は、私をとことん情熱的に変身させるみたいだ。
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実は、戦いはまだ続いている。あと三枚、私の持っていないアルバムがあるのだ。それらは希少価値が高く、オークションにもなかなか出ない。少し前に、そのうちの一枚がオークションに出たことがある。そのときには私も入札したが、私がうっかり寝てしまった隙に、信じられない高値で落札されていた。悔しくて、何日も眠れぬ日を過ごした。
いや、ホントにバカバカしいとは思っている。でも、今の私には、とても大事なことなんだよね。
<了>
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