私も年を取ったものだ、と感じる瞬間がある。もちろん、老化を考えるにはまだ早いけれど、十代や二十代前半の頃に抱えていた夢や信念や正義や悪(なんて大袈裟なものではないが)、そんなもの達が、長い時間河を流れて下流に転がる石のように、すっかり丸くなってしまったのを感じることがある。もちろん、その頃の価値観やものの見方が、今の私を作ったことは疑う余地がない。けれど、あの頃のように、自分の価値観を大事にするあまり、何かを犠牲にして誰かに背を向けるようなことは、多少は減っている、と思う。
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最近、ひょんなことから、私が十代後半の頃に聴いていた音楽に再会した。
もう、かれこれ12年も前になる。
当時の私にとっては、弾けないベースと、ピアノと、金管楽器だけが表現の手段だった。毎日音楽を聴いた。私が聴くのは、ショパンとチャイコフスキーとホルストと、ロックだった。遠距離通学で毎日往復5時間あまりを電車の中で過ごしていたから、ウォークマンは必需品で、カバンの中に何本ものカセットテープを常備していた。
その頃に覚えた音楽がある。友達から借りた一本のテープで、私はすっかりそのバンドに夢中になってしまった。来る日も来る日も、そのバンドのテープばかり聴いた。電車を降りて、徒歩の道のりになると、音量を最大に上げて聴いた。なぜだか、聴いていて悲しくなったりした。
でも、何年かたつと、そのバンドのことなんか忘れてしまった。私が社会に出て、自分の好きなCDぐらい自由に買えるようになって間もなく、解散してしまったからだ。彼らのラストライブのCDを買おう買おうと思っているうちに、私も結婚し、子どもを産んで、その頃に新しく出てきたバンドの音楽を聴くようになっていった。
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最近、私がやっている趣味のバンドで、新曲の選考をしているのだけど、その候補曲を出すにあたって、昔のCDを引っ張り出した。まさか候補に入れるつもりはなかったけれど、もしやと思って彼らのCDをあらため聴いた。
昔好きだった音楽というのは、時を経て聴きなおしたときに、
「なんで昔はこんなの好きだったんだろう?」と感じる場合と、
「ああ、やっぱりこの人の音楽は良いなぁ」と感じる場合とがある。
私にとって、彼らの音楽の場合は後者で、あの頃感じた感動が、きちんと、私の中に蘇った。十年近く聴いていなかったというのに、彼らの音楽は古ぼけもせずくっきりとそこにあって、あまりの懐かしさに、朝までCDを回し続けた。何度も何度も聴いた。脳みそをガツンと殴って去っていくような歌詞が、何とも言えず、よかった。
彼らの音楽は、一般的には「ダサい」と私は思う。いや、ダサかっこいい、と言った方がいいのかな。いかにもマニア向けの音楽だし、毛嫌いする人は徹底的に嫌うだろう、下手したら聴いていて鳥肌が立つ(悪い意味での鳥肌だ)ぐらいのものだと、私は思っている。でも、誰にとってどうであれ、私にとっては、なんというか、原点なんだよね。私にとっては、かっこいい。そういうのって、誰にでもあるのではないだろうか。なぜか感銘を受けてしまった「何か」。理由などわからないけど、いつしか自分の価値観の形成に非常に影響を与えていた「何か」。
私は、この数年、彼らのことなど本当にすっかり忘れていた。
「昔、あんな三流バンド聴いてたよな」と思い出すことはあっても、久しぶりに聴いてみようかなどと思ったことは、一度もなかった。
しかし、彼らの音楽をあらためて聴いてみて驚いた。自分の価値観の根底に知らず知らず居座っていた正体不明の強い意志が、実はこの音楽の中にあったのではないか、なんて気がしてきた。ああそうだ、私がシンセサイザーをきちんとやろうと思ったのは、この人たちの音楽を聴いたからだった、そうそう、友達とこのバンドについて朝まで語り合ったっけ、そんなことまで思い出した。あまりに懐かしすぎて、自分自身、その頃にタイムスリップしたような気さえした。
もっと聴きたくて、古い段ボールを開いてみた。けれど、私が持っているのは、彼らの後期のアルバム二枚だけだった。一番聴きたいCDがなかった。そうだよな、学生の頃の私は貧乏だったし、家にいる時間が短かったから、ウォークマンで聴けるカセットテープが一本あればそれで事足りたのだ、と回想する。その頃の空気を思い出す、なぜか、冬だ。空気が、肺に凍みた。
カセットテープ。今時カセットテープなんか、車でも聴かない。私が昨年購入したミニカーのような赤い車には、MDが標準装備だった。カセットデッキの調子が悪くて、何度もテープを絡ませた一昔前の車とは違うのだ。そう、誰も、カセットテープに見向きもしなくなってしまった、私もしかり。私は、度重なる引っ越しで荷物をリストラするたびに、古びたカセットテープをほとんど処分してしまっていた。
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