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Just Jpan 2001 9月号
 ≡ 中国留学顛末記・6 ≡    
池内 美喜子 

 いよいよ始まった授業は,言葉は悪いが意外にリラックスタイムだったとさえいえる。中国で中国語を学ぶのと,日本で学ぶのとは相当な違いがあるのかと,内心ちょっと怯えていたのだが,使う教科書を見る限り日本で見るのとあまり変わらない。もちろん,内容的には文章を読み下すというよりは,グッと会話の方に振れていることは間違いないのだが,その分親しみやすいということでもある。
 ただ,もっとも違うのは中国語で進行されることだ。先生は日本語ができないし,平易な言葉遣い,何度も違う単語で言い換え,身振り手振りを交えて話してくれる。が,それでも解らないところは解らないのだ。
 なまじ勉強してきているため,教科書を読むことはできる。中国で使われている簡体字を書くこともできる。辞書を引くこともできる。先生の話す音も判別できるのだが,いかんせんそれが意味とつながらないのだ。先生の話す音を拾い,頭の中であてはまる漢字を探し,それから日本語に置き換えていく以外,道はないわけだ。もちろん,そんなことをしているうちに話題ははるか先に進んでいて,一つ二つ解らない単語が出てくると一向に追いつけない事態となる。外国語の会話を勉強したことのある人なら誰にでも覚えのあるステップなのではないだろうか。最初の2,3日は,日本人にお決まりのあいまいな微笑とともにただただじっと聞き入っているしかなかった。
 授業中は先生も「解るように」と考えて話してくれる。解るところは外大生の上野さんが通訳してくれる。
「どんな時に踊ったりするのかって聞いてますよ」
「え!? どこにそんな単語があったの??」
まだしも授業中がリラックスタイムだったのはそのせいだ。まったく,彼女がいなければあのクラスの授業はどうなっていたのか……。思い返すに汗顔ものだ。
 落ち着いて聴いてみると,内容まで少しずつ頭に流れこんでくる。どうやら教科書に出ている会話に関する話題,同じことを言うための別の言いまわし,私たちの日本での生活や習慣と中国との比較などをかみ砕いて話してくれているらしい。曲がりなりにもまともな「会話」が成立するまでには1週間程度を要したように思う。
 日本で勉強する時と一番の違いは,やはり授業以外の時間も中国語に埋もれていることだ。周囲の人達の会話,レストランや宿舎でのやり取り,そしてテレビやラジオで話されるのが中国語なのだ。これが決定的な違いだった。ドラマはまだ画面から状況がわかるので,解る部分もある。ニュースはかろうじて話題が理解できる程度。たとえば国内で事故があったらしいが,何が原因か,どの程度の被害かなどということになると,皆目解らない。日本でも聞いていた「放送用」の正しく美しい話し方のはずなのだが,何と言っても早すぎる。ヘッドラインなど少しは字幕が出るわけだし,勉強したはずの文章に近い話し方なのだから,もう少し解ってもよさそうなものだったが,それでなおさらガックリきた気もする。ひどい時には翌日の日本語新聞で正確なところを理解するのだ。(尤も,その辺りも中国らしい事情がからんでいたのだが)
「ねー,ニュースって全然解んないよね。情報得るも何も,耳と頭が疲れてボイコットって感じ」
「そーですねぇ。それでも気がついたら解るところないかなって,聞き耳立てちゃってるんですよね」
「そーそー,余計疲れるモトだよね」
自室へ帰って,リラックスすべくスイッチを入れるテレビやラジオでこれは,ちょっとツライものがあった。ハナから全然知らない言葉なら,シャベリはシカトして音楽だけを聴くとかできたのに。
 結局,ちゃんと聞き取れるのは「天気予報」だけ。とりあえずテレビで何回か見ると,地名の音と地図上の位置,そして晴れだの曇りだの,天気をあらわす言葉はストレートに入ってくるので,ラジオで聴いても解るようになるのだ。……ということにしばらくして気づき,その時は笑ってしまった。
 こうして,華麗なる…はずの留学ライフは本格的に幕を開けた。これから1か月足らず,午前中は先生とともに苦労して言葉を交わし,宿舎のレストランで昼食を取ったあと,午後には上海の街を逍遥する毎日が始まったのである。
 昼食は予め申し出てあれば摂らないこともでき,何回か街へ繰り出して名もない食堂や屋台で食べてみよう!!…ということも可能なのだ。後にこの昼食が,留学生たちの明暗を分ける1つの分水嶺となる。それを楽しみかつ不安のタネとして,とにもかくにもスタートしたのだった。

〈了〉

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