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Just Jpan 2001 8月号
 ≡ 川面 ≡
山本 清史 


 小さくて不恰好な笹舟が、流れていく。
 はじめこそ危なっかしかったが、やがて安定し、どこへ行くとも知れない長い旅路のコツをつかんだようだ。
 水と水が二手から流れ込む岩の隙間でくるくると回り、そのまま風と戯れるように気ままに下流へと。何か、目に見えない呪縛から開放されたように自由奔放に、ゆっくりと遠ざかっていく。
 わたしは笹舟を手放したそのままの姿勢で、しばらくの間、指にあたる穏やかな川の波に感傷的な思いを浸していた。真夏の日差しの中とはいえ、川の水はひんやりと冷たい。ゆらめく照り返しに時折顔をしかめながら、わたしは連綿と流れつづける水の記憶を探りたかったのかもしれない。
 特に、夏の記憶。わたしが生まれるよりももっとずっとずっと前の、記憶。
 ふと思う。いつかわたしと同じようにこの川に指をつけ、夢想していたものがいないだろうか。ただ流れていく川の水を見つめ、その単調なリズムに心地よさを感じている、このわたしのような。
 遠くで呼ぶ声がして、やっとわたしは立ち上がった。緩慢な動きで石段をあがる。登りきった先にはちょっとした草原のような庭があって、きっと色とりどりの洗濯物がはためいている。その幾重もの幕をくぐっていくと、煙突と屋根の乗った木箱があって、そこがわたしの家だ。
 家の中には祖母がいる。その祖母が、きっとたった今、早めのお昼ご飯をこしらえ終わったところなのだ。わたしの家は風上にあるから、案の定おいしそうな香りが漂ってくる。自然に急いでしまう。
 ばたばたと風にゆれる洗濯物の脇をすり抜けると、物干し竿の上で遊んでいた小鳥たちがいたずらを見つけられた子供たちのように飛び去った。彼らのあとを目で追ってみると、いつのまにか太陽は天高く昇り、白く綿のようにもこもこした雲の一団がいっせいに空を覆っていた。ずいぶん長いこと、川辺にいたようだ。
 もう一度、祖母がわたしを呼んだ。わたしは今度は大きくはあい、といって、箱のような家の中に滑り込んだ。祖母がにっこり笑っておかえり、といった。わたしはなんだかはにかんだような表情でただいま、といった。
 ――さ、ごはんにしようか。
 ――うん。
 わたしたちは仲良く隣同士に座って、そろっていただきますといった。
 わたしは祖母が大好きだ。やさしくて、物知りで、いつだってわたしの味方でいてくれる。それに、母も父もいないわたしには、祖母だけが唯一の家族だ。広大な自然と川以外なにもない、この土地で、わたしたちは二人で暮らしている。いや、どの土地にしろ、それは同じことで、広かろうが狭かろうが、世界にわたしたちは二人以上でも、以下でもない。だからきっと、どこで暮らしていても、祖母はやさしいままの祖母だろうし、わたしは夢見がちにどこか空でも見上げているに違いない。でもとりあえず今は、この暮らしに満足している。平凡で、特にこれといった事件もない、平和な毎日。
 そう、平和な毎日。
 自然の中での暮らしは毎日が発見の連続で飽きることがないし、都会の人が思っているほど、実は不便でもない。ただちょっと、夜出歩くのが怖かったりするくらいで、ゆっくりと静かに流れ去っていく時間の中にじっと身を横たえていればいいというのは、そこになんの争いも確執もなく、心が透明になっていく気がする。ちょうど川が澄み切ってすべてをさらけ出していながら、それでいて包み込むような大きさをもっているように、少しずつわたしも、そうなれる気がしている。
 そんな、八月。
 盆が近づいている。
 いつのまにか季節は残暑と呼ばれるようになって、家の周りに立ち並ぶ木々に止まるせみたちの声もいっそう激しくなってきた。盆が過ぎれば、あっという間に季節は収斂し、大地も空も、寂しげな憂いを帯びるようになってくる。でもわたしはその移り変わりの時期が、一番好きだ。
 祖母は盆が近づくと、一週間毎日、先祖をお迎えするために、家の中の掃除をはじめる。いつも綺麗好きな祖母だから、掃除といっても特別綺麗になるわけではないのだが、目に見える汚れと霊的な汚れとは違うらしい。祖母は毎年、それ用にと一月一日に大切に仏壇に奉納しておいたふきんをこの時期にはじめて取り出し、わざわざ川の上流まで汲みに行った水に浸して使う。どういう宗派なのかは知らない。でもわたしは子供のころから、祖母がそうしてきたのを、ずっと見ている。
 そしていよいよ盆に入ると、祖母は一日、昼も夜も区別なく薄く窓を開けておく。そうして部屋の一番中心と呼べるところにお供え物を奉納し、仏壇には線香を焚き、蝋燭をともして、なるべく静かにすごすのだ。
 祖母は先祖を自分のことのように大切にしている。祖母に育てられたわたしは、だから同じように先祖のことを大切に思うようになった。でも実際のところ、わたしは先祖のことはほとんど知らない。わたしが知っている限り、わたしと血のつながっている人間は祖母だけだ。母の顔も、父の顔も、わたしは知らないのだ。
 両親はわたしがずいぶん子供のころに亡くなった。記憶もないころのことだ。祖母にそのあたりのことを尋ねると、たいていはぐらかされるが、どうやら先の戦争が原因らしいことは薄々わかった。わたしの父は軍人で、母は看護婦だった。それだけでも十分になにがあったのか、想像するのは難しくない。
 そのころわたしの一家はどこに住んでいたのか。おそらくは、戦火激しい都会だったろう。そして、両親が戦乱の渦に大きく巻き込まれ、わたしは祖母と二人、無力な子供と老人では生き抜けるはずもないと、今のこの川縁の家に疎開して来たに違いない。いうなれば、わたしは先祖が脈々と住み継いできた故郷を捨てて、今の土地での平安を手に入れている。だから先祖というものがぴんとこないのかもしれない。どうやら他人とたいして変わりはない、程度。
 にもかかわらず、幼いころからの祖母の影響で、漠然とないがしろにはできないでいる。お盆がくれば敬うし、彼岸には線香の一本も灯したりする。不思議なもので、それが慣習になっている。慣習にはいつしか実感が伴わないことが多く、それでいいのかどうか、あちこちの器官が麻痺してくる。そして麻痺したまま、別段それを気にしない。
 それが生活ということなのだ、と最近やっと気がついた。みな、いろんなものを麻痺させて生きている。麻痺して、感じないようにして、おそらくそれは傷つかないようにしているのかもしれない。刃のように降り注ぐ悲しみや苦しみから。傷がついていることに気がつかなければ、痛くもない。


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