長年連れ添ったネコのR(アール)の話だ。
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ちょうど前の週の土曜日。ふと思い立って実家のRの元を訪れた。
正月ごろからか、Rの容態が思わしくないのは知っていたけれど、その日にはもう、立つこともできなくなっていた。私は、その容態の悪化に驚きつつも、車を出して病院へ駆け込んだ。
ドクターは「もうなにが起こってもおかしくない状態です」と言った。延命措置も治療も、ここまできたら効力は無いとでも言いたげに、水分の補給と、気休めの抗生物質を与えただけのようだった。
苦しそうな仕草はなかった。ただうっとりと、横たわっていた。私は、小さく息をするRを見て、いくらなんでも喉は渇くだろうと、彼の口の端から水を入れた。すると、喉が少し動いて、その少量の水をRは飲み込んだ。私は何度も、少しずつ水をあげた。
その後私は、もう物言わぬ彼が、何度か立ち上がろうとしているのを見た。でも、足が立たず、結局倒れ込むように横になった。痛々しかった。どこへ行こうと思って立ち上がろうとしたのか、私にはわからなかった。
日曜日、私は打ち合わせで出かけなくてはならなかった。その、往きと帰りにもRのところへ寄った。容態はもう良くも悪くもならずに、まもなく訪れるだろう死の瞬間を待つように、静かに時が流れていた。
私は唯一Rの反応が見える、水やりを続けた。けれど、もう、水を入れても反対側に垂れ流してしまうだけで、喉は動かなかった。力無く開いている目で、Rがなにを見ているのか、私の姿が見えているのか、そんなことすらわからない。
でも、ほかならぬ私だもの。あなたの19年間に及ぶ相方であり、友というにはあまりにも深く関わった仲ではなかったか。血のつながった肉親よりはるかに、その絆は力強く太い縄のように、ゆるぎない力を湛えてはいなかったか。
私の存在が見えないわけはない。
私はそう信じて、Rの頬や体をさすり続けた。
まもなく、帰る時間がやってきた。
「がんばってね。もう少ししたら、私が引っ越してくるから。だから、お願い。私が引っ越してくるまではがんばって」
聞こえているのかいないのか、相変わらず目は力無く開かれたままで、表情はぴくりとも動かなかった。
翌朝、母からファックスが来た。
Rは、死んだ。
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死を知らせるファックスが来たのが、まだ朝の慌ただしい時間だったので、私には泣く間もなかった。保育園に娘を送り、帰宅してからは、ただボーっと虚空を眺めた。まったく、実感が湧かないのだ。昨日、私は暖かいRの頬や体に触れてきたばかりだ。Rのぬくもりはまだ私の手に残り、思い出そうと思えばいつだって私の手がたどった曲線を思い出すことができる。たしかに、言葉も食べ物も、なにも口にしなかった。けれど、苦しんだり痛がったりしてはいなかったではないか。
どうして? あまりにもあっけない。
そんなことを思いながらも、私にはやらなくてはならないことがあった。受話器を取り、今後の予定を聞くことだ。
私より遙かに、母の方がダメージを受けているに違いない、私は、しっかりしなくてはならない。こんな時のために、実は前もって、動物の火葬場のことを調べておいた。残酷だけど、いつ荼毘に伏すのか、私はなにをすればいいのか、それを母に聞かなくてはならない。ポカンとした心のままに、電話をかけた。
母は意外にもしっかりとした声で電話に出た。なるほど、母は母で、Rと兄弟のように過ごした私がひどく落ち込むであろうことを予想していたのだ。ボーっとしていて当を得ない私に、母は妙に気丈に指示をした。
電話を切った後、ようやく張りつめていたものが切れた。私はしゃくり上げた。寝室の布団の上で、声を上げて泣いた。
30分ぐらい泣いたところで電話が鳴った。
彼に関する電話だと思い、まったく構えずに受話器を取ってしまったので、今思えば、ひどい声だったと思う。が、電話は仕事関係のもので、しかも、今後のためにとても重要な取引先からのものだった。私は瞬時に気持ちを切り替え、営業口調で巧みに話を進めたように思う。その電話を切ると、涙は止まっていた。人の心なんて現金なものだ。
さて、仕事をするか、と、しばしパソコンを眺めたが、身が入らない。仕事の電話で切り替わったはずの脳味噌も、そのまままた浮遊してしまったかのように、とらえどころがない。どうしろというのだ、今日はとりあえず、彼のことは忘れて仕事をしなくては。すべては、明日以降だ。
けれど、私の本能は、彼の元へ行くことを決めていた。ソワソワしながらメールチェックなどを済ませ、緊急の用事がないことを確認すると、
「行って来るね」
と相棒に伝えた。
「行っておいで」
こんな精神状態で車を運転するのは気が引けたが、一人になりたい気分でもあったし、いつまた涙が出てくるかわからないので、車で行くことにした。慎重に慎重に、運転に集中しようと心がけたが、気付けば私はRのことばかり考えていた。まもなく乗ったバイパスでは、一番左の車線をゆっくりと走ることにした。
Rはきっと、最後に私を呼んだんだ。
私が土曜にふと彼のところへ行きたくなったのも、私が行く前日までは、かろうじて自分で歩き、自分で食事を取ることもできたというRが、その日にはもう立てないぐらい衰弱していたことも、そう思えば辻褄が合う。私は、精神世界やらテレパシーなんていうものはまったく信用していない。けれど、Rが最後に私を呼んだに違いない、ということについては、おかしいくらいに確信していた。
実家と私の家は、当時はけっこうな距離があった。同じ県内ではあるものの、高速に乗って行かなくてはならない距離で、何の気なしにふと立ち寄るなんていうことは、したことがなかった。けれど、その土曜日に、私は「何の気なしにふと」実家へ行ったのだ。朝、突然思い立って、娘と二人、ふらりとドライブ気分で出かけた。
これが、呼ばれたのでないとしたら、なんだったのだろう。
Rは最後に私たちを呼び、思い切り手を焼かせてくれた。そして、愛する人たちに囲まれて土日を過ごし、皆が仕事などで多忙になる月曜の早朝には、息を引き取った。
誰もいないところで人知れず死ぬなんて、Rには似合わない。
すべて、Rの意志通り、予定通りだったんだろうと私は確信していた。同時に、最後に私を呼んでくれたことに、感謝もした。彼は私をよくわかってる。
途中で花を買った。
春めいた花屋の店内には、黄色やオレンジやピンクの鮮やかな花が並ぶ。いや、Rには赤だ。絶対に、赤。赤が似合うんだもの。そんなことを考えながら花を選んでいると、また涙が溢れてきてしまった。
店員に、赤いバラとカスミ草をたっぷりアレンジしてもらう。小さい彼の体に合わせて「短めにしてくださいね」と注文を付ける私の目が涙で潤んでいるのを、店員は怪訝そうな目で見た。
「花粉症で……」
と、とっさに言い訳をしたが、もちろん私は花粉症ではない。
短めで大きな花束は、私の注文通りに仕上がった。そう、Rにはこれぐらいゴージャスじゃないとね。などと、また一人で感慨にふける。
車に戻り、助手席にそっと花束を置き、大きなため息をひとつ。
さて、現実と向き合わなくちゃ。
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