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Just Jpan 2001 6月号
 ≡ 4 ≡  * 2000年 冬 * 素人旅行者の食事事情



 ハワイで何を楽しみにしていたかといえば、なんと言っても食事だ。自炊できるキッチンのない宿泊施設を選んだのも、そんなものが付いていれば、3度の食事にいちいち作るかどうしようか悩んでしまう自分が想像できたからだ。

 朝食は毎回、ホテルの向かいのカフェで食べた。というか、最初の日に入ったらかなり気に入ってしまったので(料金的にも、食べ物の種類的にも)、以降は朝っぱらから空腹を抱えてどこのレストランに行こうかなどと億劫なことを考える手間を省いてしまった。
 パン、スクランブルエッグ、ベーコンorソーセージ、ハッシュドポテトorライス。これが定番のブレックファーストセットメニューだ。締めて4$。プラス、ハワイコナコーヒーを貰う。ハワイでは、コーヒーは生ジュースより断然安い。
 そんな洋食メニューに飽きてしまったなら、パックに入ったソバを食べるという選択肢もある。ソバ、ソーメン、おにぎり、海苔巻きセット、サンドイッチ、なんでも揃う。一度だけそのソバを食べたが、妙にダシが甘ったるくて、決しておいしいと言えるものではなかった。しかも、たかが日本のコンビニエンスストアで売っているようなパックのソバが、ブレックファーストのセットメニューより明らかに高いというのも頂けない。ハワイで手軽に日本食を食べようなどというのは、浅はかなことであると思い知った。

 昼食は日によって変わった。たいていのレストランはランチをやっているから、安いランチで味を見て夕食に活かすということもできる。が、そんな風に計画していても、物事はたいがい計画通りには進まない。
 ハワイでの日々は、ほぼ毎日、午前中に観光や遊びに出かけ、午後はホテル前のビーチで泳ぐというペースになっていた。午前中にワイキキを出て、はるばるパイナップル畑の広大な自然や、パールシティの高級住宅街を歩き回れば、自ずとガイドブックで勉強し切れていない場所でランチをとらなければならないという事態に陥るのだ。お陰で私たちは、絶対に入るのはやめようと決めていた、日本に溢れるファーストフード店で何度も食事をとった。
 私たちがようやく手頃なカフェでおいしいランチを食べたり、地元のテイクアウトの弁当を買ってビーチで優雅に食べられるようになったのは、ハワイ生活も後半の頃だった。

 夕食を考えるのが、私の毎日の楽しみだった。ガイドブックに載っているようなレストランには行くな、という、達人のお達しもあったが、私が持参したポケットサイズのガイドブックには、それはもう魅力的な料理の数々が並んでいた。
 ワイキキの物価は、決して安くはない。べらぼうな旅行者価格が設定されているといっても良い。ごく普通の、高級でもなんでもなさそうなレストランに入ったところで、日本のファミリーレストランで食べるよりは高く付いた。
 おそらく、達人のお達しは、このあたりに由来しているのではないかと思う。ガイドブックに載っているようなレストランは、日本人向けに価格を設定しているのではないか。だから、地元住民が行くようなレストランを狙うべし、と。

 けれど私は、やはりただの素人旅行者だ。地元の住民がどのあたりのレストランを好んでいるか、そんなことはわかるはずもない。もちろん、穴場的なレストランを見つけたいという思いはあったが、結局、ガイドブックに載っているレストランばかりを食べ尽くした。

 ワイキキではブュッフェタイプのレストランが人気だ。日本で言うところの「食べ放題」。「食べ放題」――私も20代前半の食欲旺盛かつ貧乏OLだった時期には、ずいぶんとお世話になった。そういう場所は、少々騒がしいのが難点だけど、それも「にぎやかな場所」と表現すれば悪くない。時間制限を設けているところもあったが、食事が決して速くない私は制限のない食べ放題レストランを好んだ。そういうレストランで、友人たちとゆっくり(しかし、ガツガツと)食事をとる時間というのも、あの頃の素敵な思い出の一つだ。
 食べ放題に行かなくなったのはいつ頃からだろう、底なしの食欲がやや減衰してきた頃だと思うから、20代半ばだろう。収入も安定してきたその頃には、なにも安さと大量に食べられることだけが取り柄の「食べ放題」に行かなくとも、自身の空腹を満たすことぐらいはできるようになってきた。外食に飽きた、というのもあった。私はその頃一人暮らしをしていたが、自室で一人質素にシシャモやホタルイカでビールを飲む、そんな生活が自由で優雅だと確信していた。その頃のそんな習慣は、いまだに私の中に根付いている。

 ワイキキは、しかし私のそんな生活感を吹き飛ばすだけの情熱を持っていた。質素に慎ましい食事なんかしてられない。ここは、島といえどアメリカ! ビーフとシーフードのメッカだ。しかも、ビーフやシーフードが安い、はず。普段は遠慮してしまうビーフ料理や、エビ、カニを食べ尽くすぞ、とばかりに勢いを付けて行った。
 もちろん、そんな妄想はまたもや浅はかであったことを、私は後になって知るのだが。


 まずはブュッフェだ。好きなものを取ることができるし、ワイキキの料理がどんなものか、とりあえず様子を見ることぐらいはできるだろう。私たちは初日の夕食に、庶民的なブュッフェを選んだ。なつかしの、「食べ放題」。

 オープンテラスのそのレストランは、実に雰囲気が良かった。いや、決して高級なイメージがあるわけではないのだが、夕暮れの暗がりで、周りの客が喋る英語をBGMに食べる食事は格別だった。旅行初日ということも手伝って、私はすっかり雰囲気に酔っていた。
 ハワイは老人が多い。アメリカ本土からの客もあるのだろうが、おそらくあれだけ住み心地の良い季候に、老いて引退した老夫婦たちが住み着いているのではないかと思うほどだった。
 ブュッフェも老人でにぎわっていた。日本で「食べ放題」と言えば、若者と、若い家族連れが多い印象があるが、ハワイは違った。老人たちがテーブルを囲み、穏やかに談笑しながら――時にはアメリカのテレビで見るような大笑いも聞こえてきたが――、ゆっくりと食事をしている。そのどこにも、笑顔があった。

 ブュッフェには当然、さまざまな料理が並んでいる。日本で見かける料理もあれば、素材が何なのかすらわからない妙な形の料理もあった。そして、やはりビーフのメッカらしく、大きな固まりのローストビーフをウエイターが切ってくれるサービスもやっている。
 ローストビーフをたらふく食べたい、と願っていた私はさっそく足を運ぶ。ソースは掛けるか、と聞かれて、とっさに「イエス」と答えた。

 テーブルに戻る。念願の、アメリカの牛肉に、心が躍った。丁寧にナイフを入れ、ひとくち口に含む。

 硬い。筋が多い。噛み切れない。
 そんなバカな!
 そして、ソースもなんだか大ざっぱな味で、私は少なからず落胆した。
「ソースはいらないね。ソルト&ペッパーで十分だよ」
 私は連れに言う。
 まもなく同じビーフを切って貰ってきた連れも、
「硬いね。ガムみたいだよ」
 と苦笑していた。

 それでもまだ何かを期待している私は、きっと、私が食べた部位がまずかったのだろうと、もう一度ビーフを切って貰う。今度は、ソースはいらない、と言った。
 テーブルに戻り、塩と胡椒をかけて口に運ぶ。

 なんてことだ。やはり、さっきのと同じじゃないか。
 日本の高級牛肉とは、まるで違う食べ物だ。柔らかさや脂の乗りを売り物にする松阪牛なんかとは、まったくもってして、違う。

 アメリカのビーフは、日本人の口には合わないのかもしれない。それが、ハワイでの初日の晩に突きつけられた現実だった。

 しかし私は、まだまだ食べ物に幻想を抱き続ける。
「ブュッフェなんかダメなんじゃない? 安いんだし、食べ放題だし」
「そうかもね。せっかく来たんだから、1度ぐらいはおいしい牛肉食べたいよね」
「うん。まあ、牛肉がダメならシーフードかな」

「でも、結構高いよね」
「うん……」

 愚かな素人旅行者の私たちは、それから毎晩、同じような会話を続ける。ガイドブックに載っているワイキキの手頃なレストランは、どこも見事に期待を裏切ってくれたのだ。そのくせ、チップも含むと、日本でちょっとしたコース料理を食べられるぐらいの値段になってしまっていた。失敗に次ぐ失敗。ともすれば、もう食べたくない、と思ってしまうほどの大打撃。
 もう少し、達人のお達しに耳を傾ければ良かった。そんな後悔も、時既に遅しだ。

 しかし、そこで諦めることなく、私たちは挑戦を続けた。我ながら、良く辛抱したと思う。いや、辛抱というよりは、食に対する貪欲さ、か。せっかくのハワイ旅行が、「食べ物がまずかった」という感想に終始してしまうのは、どうしてもいやだったのだ。なにしろ、私が一番楽しみにしていたのが、この「食事」だったのだから。


 そして、実に最後の夜、私たちはようやく「これぞおいしい食事だ!」というものにありつけた。そこには、「パール」という名の賑やかなウエイトレスがいて、鼻歌を歌いながら給仕をし、忙しくなれば駆けずり回って笑顔を振りまき、私たちにこの上ない幸福の食事を提供してくれた。


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