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| Just Jpan 2001 5月号 |
| ≡ 中国留学顛末記・2 ≡ |
| 池内 美喜子 |
中国へ渡るのにわざわざ船を選ぶのは、ヒマはあってもカネがない学生か物好きなフリーターばかり。つまり若い世代に限られているので、船内ではなじむのも早い。大阪南港からは6人が乗り合わせていたが、一通りの自己紹介もそこそこに、早速「UNO」を始めたのだった。白状してしまうと、私はこの時がUNO初体験。いやー、スッポリはまってしまった。でもそれは私だけではなくて、出航から2日2晩、みんなして寝てるか食べてる以外はずーっとゲームに没頭していたのだ。いや、もちろんこれはメンバー相互の親睦を図るためであって、必要な時間だったのだ。何せここで一気に初めて同士のメンバーも親しくなったし、どんな人物かということもよ〜くわかったのだ。ホントである。
カーフェリーや遊覧船には乗ったことがあっても、国際航路、そして2等の大部屋は初めての経験だった。飛行機の時のように出入国や通関の手続きをするのがなにか新鮮だ。最初、個室でなくて広ーいところに布団を並べて敷いて、知らない人とも隣り合わせで寝ることにはちょっと面食らう。それでも安部さんは
「それぐらいのことでガタガタ言ってたら中国ではとてもやっていけませんよ」
とにべもない。
乗り合わせたメンバーの中には九州から参加している人がいて、彼らはこの船に乗る前に既に国内のフェリーで1泊して来たのだという。そのうちの1人が、水内さんといって大学を卒業したての女の子だった。私より3つ下か。就職の前に卒業旅行を兼ねて参加したんだそうだ。卒業旅行にこのツアー、しかも1人なんてちょっと変わってるかも。
「私って、人よりちょっとのんびりしてるから。あちこち廻るツアーで友だちとかに迷惑かけてもいけないしね」
「大学で中国語とか専攻していたの?」
「いいえ、経済学部。第2外国語だったんだけど、少しでも話せるようになりたいと思って。旅行の時なんか使えるでしょう」
なんともおっとりした印象の子だ。でも一番仲良くなれそうかな。
たまに、船内を探検したりもする。中には免税店などもあって、そんな時は国際航路なのを実感するのだった。
「あー、バランタインの8年ものがある。帰りに親父のみやげにしよう」
トシに似合わないことを言う、と思って見るとこれも九州の大学生、しかもまだ2年生という林くんだ。自分自身がやっとワインの味が少しわかりかけてきたかな、というところでウィスキーはこれからと思っていたので、ちょっと悔しい想いで、聞いてみた。
「ウィスキーなんて飲むんだ」
「親父がよく買って来るから。ファイネストはまだちょっときつい感じがするし、12年はこなれすぎて物足りない。8年ものが一番好きだな」
「お父さんはどういう仕事してるの?」
「商社で中国貿易を担当する部署にいる」
なるほど、それで中国とは長くご縁があるわけか。
「こいつのオヤジさんは大商社の管理職なんですよ」
そう解説してくれたのは、林くんと一緒に参加している宮本くんという大学生だ。同じ大学のゼミ仲間らしい。照れ屋ながら世慣れた感じで落ちついた雰囲気の林くんと、ひょうきんでお調子者、あるいは自分でそう演出している宮本くんは好対照だった。
さらにもう一人の女子大生は国立の外国語大学の学生で、植田さんという。どうやらメンバーの中では一番「デキる」子らしい。知識も会話の経験もあり、それなりに自信もあるのだろう、しゃきしゃきと早口で話す。性格もハッキリしているようだ。
「えー、仕事やめて来たんですか。スゴーイ、いいな〜。私も就職なんてしたくなーい」
オイオイ、そんなこと言ってられるのは今のうちだけだって。
船内生活のうちで特筆すべきことといえば、メンバーとの親睦を図っていたばかりではない。頃は3月、おりしも「春の嵐」というべきだろうか、ちょうど2日目の夕刻ごろから、船は巨大な低気圧のまっただ中に突入したのだ。私は普段、およそ乗り物酔いとか気分が悪くなったなどという経験がまったくない。遠足のバス、キライな人によると強烈な横揺れで耐えがたい「振り子式列車」の特急、卒業旅行の飛行機、トロッコ、離島へ渡る連絡船、ジェットコースター………。かなりありとあらゆる乗り物に乗ってきたが、酔うという経験は、絶えてなかったのだ。その私が、このときばかりはさすがに参った。結局それでも、吐くというようなことは最後までなかったのだが、揺れ始めたので食事を途中で切り上げ、あとは横になってるしかなかった。他の学生諸君はもう大変で、ゲロゲロで満足に口もきけない状態。
「やっぱり借金してでも飛行機にすればよかったぁ……」
「うーん、確かにこれはスゴイ。この揺れはいったいどのくらい続くんだろうね」
私は運良く気分が悪くなるところまではいかなかったものの、自分の身長ほども上下しているんじゃないかという床に翻弄され、トイレに立つのもままならない。2時間ぐらいだっただろうか、なんの余裕もなくただもうじっと布団の上に転がっていた。かなり揺れも収まってから、食堂あたりに出てみると、それでも食事を続けていた人もいたと聞き、感服した。
「世の中、いろんな人がいるもんだ。よほど旅慣れた人なのかな」
「私ならもーう絶対船で上海に行こうなんて思わない」
よほど懲りたのか、女子大生は一言で取りつく島もなかった。
船内生活も3日目になると慣れてくるものの、さすがにそろそろ地面を踏みしめたい、と思うようになる。そんなころあいに、中国上陸後の生活や別に飛行機で中国に入っているメンバーがいること、まずはクラス分けのために簡単なテストがあることなどについて説明を受ける。私とて中国は初めてではない。わかっちゃいることとはいえ、否応なしに神経の張る瞬間だ。
今日の午後にはもう、私たちは上海の街に足を踏み入れているのだ―――それは、ちょっと不安交じりに皆の胸に共通する想いだったろう。 <了>
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