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Just Jpan 2001 3月号
 ≡ コタツ魔人 ≡
山本 清史 

 コタツの中になにかいる。
 ぼくはこのホラー小説のような魅惑的な想像にいつしか興奮し出していた。

 コタツの中に、なにか、いる。
 つい小一時間ほど前のことだ。いつものように、ぼくはコタツに両足を伸ばして、お茶を片手にごろごろ寝転がってテレビを観たり、本を読んだり、何気なくリラックスしていた。すると小腹が空いてぐうと鳴った。みかんのかごに手を伸ばしたが生憎空になったばかりだった。脇にはみかんの皮の山。ずいぶん食べたものだ。舌打ちをしながら天井を仰ぐと、確か昨日買った豆大福が台所においてあったのを思い出した。だが、どうにもコタツから出る気がしない。せっかくほくほくしてきたのに、冷気の停滞する台所なんかへいったら元の木阿弥、台無しである。そこで空いた小腹はなんとか我慢することにして、またしばらくコタツの虫でいた。ところが今度は、トイレにいきたくなってきた。こればかりは我慢していられない。仕方ないのでのそのそとコタツから這い出してトイレに向かうと、廊下の冷たさが足を伝い、たちまち全身を覆って、ぼくは思わず身を縮め、ぶるぶる震えながら用を足した。温まった体もすっかり冷え切ってしまって筋肉がぴりぴり硬くなっている。こうなったらもうついでとばかり、帰りに台所により、豆大福はもちろん、そばにあったポテトチップひと袋、チョコレートをひとつまみゲットして、走るようにしてコタツに戻ってきた。これだけあればしばらくは空腹をしのげるなと再び足を突っ込んだときだった。
 こつんとなにかに当たった。
 そしてそのなにかは、すっと逃げるように脇にそれた。
 なにか、いる。コタツの中に、なにか。
 しかし瞬間、考え直した。そんなわけがあるものか。ぼく以外に、誰が、この部屋にいるというのか。まして、コタツの中に。ぼくは否定した。しかし――
 じゃあ、いまのはなんなのか。
 途端に、さっと背筋が凍った。気味が悪くなった。なにかいる。なにか――。一番最初に考えたのは、なにか、虫みたいな、ぼくの知らない変な生き物が潜んでいたらどうしようということだった。見たこともない、気持ちの悪い、虫が。
 足が動かなくなった。動いたら食いつかれるかもしれない。そう考えると、丸太のように硬く硬直した。指の先まで緊張した。神経が高ぶり、毛という毛までがピンと立ち、集中して周囲の様子を探った。しかしもう、そのなにかは足に当たることはなかった。そればかりか、なにかがコタツの中でうごめく気配すら感じなかった。消えたのか。煙のように。しかしどこから。
 どこから――。それはもっともはじめに不思議に思うべきことであった。どこから消えたのか、ということよりまず、どこからそのなにかは入りこんだのか。ぼくはなるべく体を動かさないようにしながら、コタツの周囲を見渡した。――異常はない。先ほどトイレに立ったときと、なんら変わりがない。じゃあどこから。
 疑問は不安となり、不安は恐怖となり、ぼくの全身を駆け抜けた。
 いや、まだ消えていないのかもしれない。どこにも出られる場所がないということは、まだコタツの中にいるのかもしれない。
 それにしてはこの気配のなさはどうしたことだ。
 いるのか、いないのか。ますますぼくの恐怖は膨れ上がる。ぼくは少しずつ足を動かし、慎重に探ってみた。ゆっくりと、ゆっくりと、端に追いこむように動かしていく。
 やはり気配が、ない。もう、いないのか。確かめたかった。さっきは確かに、足に当たったのだ。なにかが。そして、逃げるように消えた。
 掛け布団をめくろうかとふと考えた。それが一番手っ取り早い。ぼくは布団のすそに手をかけた。そして汚い布でも触るみたいに、そっとつまんで、おそるおそる、ゆっくりと引き上げていった。
 と、熱いなにかが、ふっと手に吹きかかった。
 ぼくはひっと情けない声を出し、慌てて手を引っ込めた。そして、手を見る。
 あれと思った。
 ――なんともない。
 なにか変なものが張り付いていることもなければ、食いつかれたような跡もない。
 拍子抜けした。しかし瞬間、はっとした。
 そのとき、わかったのだ。
 おそらく、コタツの中にたまった熱気が、吹き出し口を見つけて殺到したのだろう。渦巻く熱気。冷たい空気の張りつめるコタツの外。ちょうどそのはざまでは、さながら寒流と暖流が衝突して豊かな魚場を形成するように、なにか新たな風の塊が瞬間的に生まれ出ていたのかもしれない。その塊に当たって驚いて飛びのけるとは、ぼくもとんだ臆病者だ。なにが虫だ。なにが食いつかれるかもしれない、だ。
 おかしくなってきた。馬鹿げた想像に慄いていた自分に。
 自然に笑みがこぼれる。そうさ、コタツの中になにかいるわけがない。コタツの中に入るには、まず、家の中に入らねばならない。窓もドアもちゃんと施錠してあるし、どこか穴があいた形跡もない。ということは、誰も――なにも、風さえも、入りこんではいないということではないか。冷静に考えれば誰だってわかる。きっと、同じようになにか熱気の塊が、ぼくが足を突っ込んだ瞬間につられて入りこんだ冷気に触発されて形成されたに違いない。
 なんてことない。ああ、わかってみれば、くだらない――
 ――と思ったときだった。
 くつくつくつ……
 くぐもった笑い声が響き渡った。
 それは今まで聴いたこともないような、背筋がひんやりとする不気味な笑い声だった。
 ぼくは顔を動かさず、目だけで部屋中を見渡した。
 角。隅。物陰。なにもいない。窓の外にも、なにかいるような気配は、ない。
 ――どこだ?
 くつくつくつ……
 またぞろ聞こえてくる。はっとして、ぼくは背後を振り返った。
 いない。それでも笑い声は聞こえつづけてくる。
 くつくつくつ……くつくつくつ……
 残る場所は、ひとつだった。
 コタツ――この中。
 ごくりとつばを飲みこむ。もう一度、コタツの周囲を見渡してみる。
 くつくつくつ……
 確かに、コタツの中から聞こえてくるようだ。なにかが笑っているのか。とすると――やはり。
 コタツの中に、なにか、いるのだ。
 なにが。
 なにが笑っているのだ。なにがいるのだ。
 ぼくの体は再び硬直してきた。この状況はまずくないか。そういう思いが全身を駆け抜ける。ぼくはコタツの中に足を突っ込んでいる。そのコタツの中から、あろうことか、得体の知れないなにかの笑い声が聞こえてくる。
 どうすればいい。
 静かに混乱してくる。いつのまにか首筋を汗が伝う。
 暑い。コタツの温度を下げようか。しかし――ちょっとでも動くのをためらわれる。またぼくの頭の中では、動いたら食いつかれる、という思いが強く渦巻いていた。
 くそ。どうすればいい。どうすれば――
 くつくつくつ……
 相変わらず笑っている。なにがそんなにおかしいのか。ぼくがコタツに足を突っ込んだまま硬直しているのがそんなに滑稽だろうか。
 息が荒くなってくる。
 しかしさっき足を動かしたときはなにもいなかったではないか。端のほうまで追い詰めるように足を動かしたのだ。しかしなにもいなかった。いないのだ。いないはずなのだ。
 くつくつくつ……
 いないはずなら――この笑い声はなんなのだ。
 静かに、混乱している。
 なにがいるのだ。
 ――なにが。
 息遣いが激しい。しかし不思議と恐怖はなかった。さきほどのような不安も恐怖も、どこかにいってしまっていた。
 たぶん、通りすぎたのだ。
 不安も恐怖も通りすぎて、ぼくは興奮していたのだ。

 コタツの中になにかいる。
 ぼくはこのホラー小説のような魅惑的な想像にいつしか興奮し出していたのだ。
 くつくつくつ……
 まだ笑っている。なにがおかしいのだろう。ぼくは興奮して感覚の麻痺した頭で考えてみた。きっと――そうだ、きっと、コタツの中に、とても面白い抱腹絶倒の世界が広がっているのかもしれない。そうだ、きっとそうだ。だからこのコタツの中のなにかは、いつまでも笑っているのだ。なるほど、そうか。だったら――
 ぼくも見てみたい。
 冷静な判断などできなくなっていた。疑問は不安へと変わり、不安は恐怖へと形をかえ、そこを過ぎると人は興奮し、好奇心という名の魅惑に打ち負けてしまう。ぼくは、もうこの笑い声がどうとか、笑い声の主が誰かというよりは、なにがおかしくてこいつは笑っているのだろうと、その《なにが》を知りたくなっていた。確かに混乱している。しているが、だが、やはり、見てみたかった。そんな、コタツの中に広がっている抱腹絶倒世界が、もし本当にあるのならば。
 いや、本当にあるのだ。ある。
 あり得ない笑い声が、コタツの中から聞こえてくるのだ。だったら、あり得ない世界が、コタツの中に広がっていたとしても、なんら不思議ではない。それに、そういう世界がなければ、このなにかがいつまでも笑いつづけている意味がわからない。絶対に、なにか面白い世界が広がっているのだ。そうだ。絶対そうだ。
 ぼくは勝手に決めつけた。そして思う。
 ああ、見てみたい。
 いったいなにがあるのだろう。見てみたい。
 掛け布団をめくってみればいい。それだけのことだった。だが、ひとつ根拠のない不安がそこで首をもたげてくる。
 見てしまおうとすると、たちまち消えてしまうものだとしたら、どうしよう。もしかしたらこれはなにかの試練で――たとえば欲求抑制のテストかなんかで、好奇心に負けて見てしまったら不合格、ぼくはなにかそういう者であるという烙印を押されて、一生を過ごさねばならないのだとしたら、どうしよう。
 好奇心、前科一犯。抑制のきかないダメ人間。
 これなら、あり得ないことが起こっているのも納得できる。テストなのだとしたら。
 見ちゃいけない。見ちゃいけない。見ちゃいけない。
 ぼくは必死で自分を説得した。もしそうなら、取り返しがつかない。だから見てはいけない。
 しかし――同時に思う。
 もし、そうでなかったら。
 見てみたい。見てみたい。見てみたい。
 途端に好奇心が暴走を始める。頭の中がふたつの相反する欲求に支配されてぐるぐると目が回る。ああ、どうすればいい、どうすれば。
 くつくつくつ……
 笑っている。なにかが笑っている。なにを見て笑っている。なにが見える。なにが。どんなおかしいことが。この、コタツの中に。
 くつくつくつ……
 笑っている。
 見たい。見てみたい。そして、ぼくも笑いたい。
 ぼくは、もう我慢することなどできなくなっていた。前科一犯がなんだ。くそくらえだ。ここは自分の家だ。やりたいことをやってなにが悪い。
 開き直った。どうにでもなれ。見てやるんだ。このコタツの中にいったいなにが起こっているのか、ぼくははっきりこの目で確かめてやるんだ。そうだ。それが、この家の主たるぼくの、使命だ。
 ぼくはゆっくりと掛け布団に手を伸ばした。そしてごくりとつばを飲みこんだ。息を整える。指に力が入る。ぼくの好奇心は否応なく高まっていく。
 そうしてついに、ぼくは掛け布団を一気に捲り上げ、コタツの中に顔を突っ込んだ。
 笑い声は相変わらず部屋中に響いている。
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