| 周口日報3月の記事 |
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〜 周 口 市 〜 河南省東南部、沙河・頴河・賈魯河の三河川が合流する所に位置する。人口1,035万人。古代伝説の皇帝伏羲が居住した聖地、道教老子の故郷とされる。古くから農業の拠点で、小麦、綿花の生産量は河南省第1位、肉牛飼育や平原緑化にも力を入れている。(人民日報海外版より) |
| 3月18日 孝行と中国伝統文化 |
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| 1990年代以降続いている中国社会経済の急成長に伴い、政治、経済、法体制と言った各方面での改革が議事日程に乗っている。一方、道徳の再建も直面している問題の一つだ。中国は数千年もの長きにわたり倫理道徳を重んじてきた国であるが、この民族伝統文化の真髄を打ち破り、法治と言う観点から新しい文化体系を構築すること。家庭及び社会における敬老精神に新しい道徳観念を導入することが、今後の鍵となるのではないか。 人類に「孝行」と言う意識が芽生えたのはかなり早く、原始社会の末期には形成されていたと思われる。孝行意識の起源が一体何であったかを立証する資料は残っていないが、人類が長期にわたって共同生活をしていく中で、自然発生的に芽生えた意識ではないかと推測する。太古の人類が畏敬の念を抱いていたのは、1つは家長や目上の人であり、もう1つは自然の神秘だった。当時の人類は生産活動能力や思索能力が低く、自然現象を解明することが出来なかったため、自然への恐怖心は相当なものであった。人類における孝行の概念は、恐らく自然の神々や祖先を崇拝することと大きな関係があるだろう。古代中国では宗教観念が育ったなかったにも関わらず、先祖崇拝の風習は深く浸透していった。その後農耕による生産活動が始まり、男性の農作業によって食物が得られるようになると同時に、父権制が確立していく。作業用具及び収穫品の分配権を持つ父親が絶対的な地位を得たと言うことは、一種奴隷制的な要素を持った孝行意識への変化をも意味する。 周代に入ると同属支配制度が重んじられるようになり、孝行の概念は益々盛んになる。道徳とそれに絡んだ刑罰が導入され、孝行主義は徳育としての体を成しはしたが、国家統治の道を歩む上での付属的存在にすぎなかった。社会体制が激変した春秋戦国時代に「礼崩楽壊(社会秩序や道徳が乱れる)」状態となったのを受け、社会調和を目指した孔子が「仁」を唱えた。孔子による仁の精神は多くの教訓を内包し、それを引き継ぐ儒家が孝行の概念を集大成したものが『孝経』である。儒家の教えが各地で徹底されるようになった頃には、家庭における倫理規範に止まらず、支配階級も神聖なる徳育経典として『孝経』を崇め始めた。親孝行から始めて、その後君主への忠誠へと発展させるのが最高の境地だと教えたのである。儒家達は緻密な説法で大衆を納得させ、政治支配者もまた緻密に孝行を提唱した。結果的に庶民は苦労を厭わず忠誠を尽くすようになる。こうして功利主義的色彩を帯びた孝行概念が封建制度の核心となっていった。 今日、我々が法治文化体制を構築して行くに当たり、社会主義思想における道徳観を切り離すことはできないが、孝行こそ我々中華民族価値観の真髄であるとの認識は継承すべきではない。それら伝統の中にある、他人の奴隷化、人格否定、他人を愚弄するといった「愚かな孝行心」を捨て、新しい公衆道徳、新しい家庭徳育、新しい就業意識へと改造することで、真の意味で崇高な精神へと昇華していく必要があるだろう。 |
| 3月27日 おじいさん 格好いいよ |
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| 僕が学校へ行く道の途中に、そのワラ葺きの家はありました。「あの家にはおじいさんが住んでいるからね」と母はいつも言っていました。 「あのじいさんは気味が悪い。顔中傷跡だらけで、まるでヒキガエルだ」と人が言うのを聞いて、小さい頃からずっと怖いと思っていました。それで、その家の前を通る時はいつも緊張して、できるだけ速く通り過ぎようと必死に自転車をこいでいました。 ある土曜日の午後でした。学校が終わって降りしきる雨の中、家路を急いでいました。雨で道がぬかるんで自転車に乗れないので、汗だくになりながら一歩一歩推して帰りました。そして、その家の前を通りかかった時、寒気がしてもっと汗だくになりました。 「坊主、道が悪くて歩けんだろう。自転車をここに置いて行け。」 声を聞いて、僕はぽかんとしました。そうです。あの顔中傷跡だらけの老人だったのです。驚いた僕は自転車をひっくり返し、自分も転んでしまいました。 雨は降り続けるし、それに泥水と汗とで僕の服はびしょびしょになりました。おじいさんは想像とは違って随分若く見えました。そのまま僕を引っ張り起こし、自転車を担いで僕の家までついて来てくれました。家に着いたら、お茶の一杯も飲まずただ僕の母に挨拶だけして、さっと雨の中に飛び出して行きました。その後、母が話してくれました。「あの人は李さんと言ってね、ずっと一人で暮らしているんだよ。本当はしっかりした人でね。普通に幸せな家庭を持てるはずだったんだけど、ある大火事で子供を助けようとして…。」 小さくなっていくおじいさんの背中とぼんやり霞んだワラ葺きの家を見ながら、僕は涙を流しました。雨と汗と涙で、またぐちゃぐちゃになりながらつぶやきました。 「おじいさん、格好いいよ。」(李賽第二中学生投稿) |
| 3月31日 澳門のカジノ 規模はどれくらい? (人民網) |
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| 世界4大カジノとして有名な澳門では、ギャンブル産業が澳門経済を支える中心となっている。澳門を知ろうと思えば、ギャンブルを抜きにする訳にはいかない。澳門ギャンブルの秘密を知ろうと思えば、これまた一日にして成らず。澳門の基幹産業であるとは言え、社会的に見れば一種特殊な現象であり、未だ謎に満ちていると言ってよい。 現在、澳門にあるカジノは11店舗、ゲームテーブル総数は353台。1万人以上の従業員が賭場で働き、澳門行政収入の半分以上をここで稼ぎ出す。昨年4月から今年2月までの11ヶ月間でカジノ特区が納めた税金は81億澳門ドルに達した。澳門最大のカジノ葡京賭場(カジノ・リスボア)の3月営業売上は何と30億澳門ドル。まるで紙幣印刷局状態だ。一日の来客数は平均延べ3万人、来客数、売上ともに世界最大規模を誇っている。 アメリカのラスベガスとちょっと比較してみよう。澳門のカジノはテーブルゲームが全売上の95%を占めるのに対し、ラスベガスのメインはスロットマシン。こちらは全売上の70%に当たる。ラスベガスのカジノ数は澳門の20倍以上の247店舗。だが、総売上では澳門に及ばない。澳門カジノにはラスベガスの6倍以上もの税金が課せられているからだ。 葡京賭場の鳥かご状建築は、澳門のシンボル的建物であるのみならず、毎日何千何万もの観光客を吸収していく。雨が降ろうが、休日であろうが、24時間止まることなく営業する葡京賭場。従業員3,000人、警備員800人を有する巨大カジノのゲーム会場は全26室。世界中のギャンブラーが集まり、巨額を投じて豪遊する様にはただただ驚くばかり。 |