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周口日報10月の記事 |
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〜 周 口 市 〜 河南省東南部、沙河・頴河・賈魯河の三河川が合流する所に位置する。人口1,035万人。古代伝説の皇帝伏羲が居住した聖地、道教老子の故郷とされる。古くから農業の拠点で、小麦、綿花の生産量は河南省第1位、肉牛飼育や平原緑化にも力を入れている。(人民日報海外版より) |
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10月25日 まけないなら売るんじゃないよ |
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最近、琢磨のあるスーパー店主から聞いた話。「この頃の客は、安売りしないなら店に入らないってな調子さ。ろくに品定めもしないで、どれだけ安くなっているかだけで決めるんだ」 この話からいくつか問題が読み取れよう。一つは、現在の消費市場で販売側やメーカーの客引き術が見透かされてしまっていること。二つ目は、消費者の購買心理が本来あるべき状態でなくなってしまっていること。もう一つは、現代消費市場における値引きの悪習が結果的に「共倒れ」を引き起こしていること。 「消費者が販売側の手口に慣らされてしまった結果だ」と言う人もいれば、「消費者の心理が未熟で幼稚なせいだ」と言う人もいるが、結局のところ原因は売る側にあるのではないか。ここ数年の各都市におけるスーパーの現状はどうだろう。正札をつけている商品、品質と価格とをきちんと説明してある商品は、一体いくつあるのだろうか。 「半額叩けばまた半額」こんな流行語が聞かれるようになって久しい。販売店の店主には、どんな商品に関わらず売値を決める際の暗黙の了解があるらしい。つまり、原価の数倍から数十倍もの値札を貼るということだ。「値引きしないのは何の準備もなく戦をするのと同じ」と言う店主もいる。値段を出来るだけ高く吊り上げておいて、そこから値引きする。消費者に「安くで高級な物を買った」という満足感を作り出すためだ。 実際のところ、偽りの満足感を引き出す方法、値引きによって販売促進する戦術は、商品価格が高騰するため販売側に大きな利益をもたらしてきた。しかし、21世紀に突入した現在、消費者も賢くなってきており、値段の透明性に関する情報も増えている。今や値引きにより客を吸引する方法は、逆に販売側の目の上のこぶとなってしまったのである。各商品、各商店での値下げ競争は日増しに激しくなり、とうとう販売側は身を切る思いで原価割れ販売をするようになった。昨年のカラーテレビ業界が大赤字を出した原因の一つはここにある。 「聡明なるは聡明によって誤てり」と言う言葉があるが、「値引きしないのなら買わない」消費者現象は、まさに「値引きするは値引きによって誤てり」ではないか。スーパー値引きの知恵は、逆に自らの寿命を縮めているのだ。 |
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10月30日 気象局からホットな贈り物 |
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秋深まる中、商水県鄭城鎮楊湾村の村民と小学校教員達の心はぽかぽかと暖かい。周口市気象局駐村作業隊からの贈り物12万元相当が、隊員達の真心と共に届いたからだ。 軽快な銅鑼の響きは、まるで子供達が作業隊を歓迎する喜びの声。鳴り渡る爆竹の音は村人の心に「喜びの花」がはじけ咲くかのよう。気象局局長朱艶杰氏が楊湾小学校校長へ「贈答品目録」を手渡した瞬間、村中が沸きかえった。村民は、老若男女問わず小学校の運動場へ足を運び授与式に参加、その盛大な拍手は気象局作業隊に対する感謝の気持ちを物語っている。 周口市気象局の駐村作業隊が楊湾村に駐在を始めてから、江沢民総書記の「三つの代表」思想を忠実に実行、民衆と共に考え、民衆の望みを叶えてきた。小学校の教室及び教育資材が不足している現状を知った作業隊は、まず10万元を投資して8教室を新設、更にパソコン、書籍、机、本棚など2万元の教育資材を購入した。 朱局長はこう話す。「村の立ち遅れを改善するには、農民一人一人のレベルを根本から高めていかねばならない。農民のレベルを上げるには基礎教育の徹底から始めるべき。気象局にできることは限られてはいるが、何とか手立てを考えて資金を集め、小学校の教育環境改善を図らねばならない。」この発言は、先進的生産力を産むための条件を代表するものであり、先進的文化発展の方向性を代表するものであり、人民の利益具現化の方法を代表するものでもある。 楊湾村共産党支部は、感激の意を表して「水を飲む度、井戸を掘ってくれた人のことを思い出す」と言う言葉を作業隊に送った。楊湾村の人々は、気象局作業隊のことをいつまでも忘れないであろう。 |
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10月31日 犬と道徳 |
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早朝健康のため運動しようへ出かけると、犬の散歩をさせている人々をよく見かける。犬を連れて歩くこと自体は別に何の問題も無い。しかし、犬は人間とは違い好きな所で用を足す。歩道や公園など至る所に犬の糞だらけ。自分の犬が公共の場に堂々と「爆弾」を落としておいて、平気な顔をしている人もいる。ある朝、あるご婦人の愛犬が通りで用を足し、その場を掃除していた清掃員と口論になった。「たった今この通りを掃除したばかりなのに、あんた何てことするんだ!」全く、このご婦人の神経は理解できない。 先日、バスの中でこんなことがあった。「赤ん坊」を抱いた若い母親が、片手でしっかりと手すりに掴まりつつ「赤ん坊」をあやしていた。危なっかしい様子を見かねた男性が席を譲ると、母親は遠慮もせずさっさと席に就いた。しかし、次の瞬間周囲にいたバスの乗客が目を疑うような出来事が。「赤ん坊」が窒息してはいけないと「おくるみ」を開いた時、中から出てきたのは赤ん坊ではなく茶色いチャウチャウ犬だったのである。確かに賢い犬で、おとなしく景色を眺めたりしてはいたが。 最近の犬への過保護ぶりは人間をもしのぐ勢いである。本来、犬を飼う目的は家の護衛のためで、犬の食事は残飯と相場が決まっていた。もし、他人を噛むようなことがあれば、ひどい罰を受けたあげく食肉送りとなった。その後、飼い犬はだんだんと小型化するが、その地位は上昇する一方。ドッグフード、人間顔負けの衣装。もちろん、飼い主の自由であり他人が干渉すべきことではない。しかし、清掃員の労働を無視して自分の犬が用を足す、犬のために席を譲ってもらう、こういう飼い主は如何なものか。 結局、彼らは「公衆道徳欠乏症患者」なのだ。規範ある文明社会において、他人に迷惑をかけることは許されない。自分の犬が通りで用を足しておいて、それを掃除しないばかりか、もっともらしい理屈をつけて清掃員を馬鹿にするなど、自分のレベルの低さをさらけ出す以外の何物でもない。バスで犬に席を譲るほど滑稽なこともないし、伝染病を媒介する危険性もある小動物を連れてバスに乗るとは、全く他人軽視も甚だしい。 このような非文明的行為をなくすには、一人一人の道徳意識と他人を敬う習慣を育てて行かねばならない。あなたのその可愛い犬は、あなたにとって他人より大事かも知れないが、他人にとってあなたの犬は大事なものだろうか? |
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